デス・オーバチュア
第188話「黒兎の小夜曲(セレナーデ)」




桜版一塵法界。
ガイの一塵法界が、地上の全方位、二次元的な完全包囲からの疾風の斉射なら、桜の一塵法界は上下を追加した三次元的な完全包囲からの疾風の斉射だ。
例えるなら、ガイ版は『円』、桜版は『球』の斬撃の埋め尽くしなのである。
ガイ版の唯一の回避方法である上空への逃れすら封じるより完璧な技だった。
他人(ガイ)の技を完璧に模写するだけでなく、空を駆ける二角の黒馬ワルプルギスの利点である頭上や真下といったもっとも回避し難い角度の攻撃を追加し、より完璧な技に瞬時に改良する。
そのセンスと器用さこそ、桜が天才たる所以だった。


全方位から同時に吹いた疾風(斬撃)の激突。
大爆発のような風音の後には、ガイの姿は肉片一つ残っていなかった。
いや、よく見ると数枚の小さな黒い布切れが風に舞っている。
おそらくガイのロングコートの欠片と思われるこの黒い布切れだけが、一瞬前までこの空間にガイ・リフレインという男が存在していたことを証明していた。
「あははーっ、最早斬るといったレベルじゃないですからね〜。疾風による包囲殲滅……肉片一つ残らず消し飛びましたか〜?」
ガイが消え去った空間に代わりに存在してる桜は、長刀をゆっくりと背中の鞘へと収める。
「見てくれましたか、師匠! わたし、先輩を殺っちゃいましたよ〜♪」
宙に浮くワルプルギスの馬上の桜は、遙か眼下のディーンに視線を向けた。
「……まあ、この辺が限界か……」
ディーンは『さもありなん』といった表情を浮かべると、トックリから酒を呷ぐ。
「はい? 師匠……?」
「……いい馬だな……ちゃんと主人より足が速い……」
「えうっ!?」
声と同時に背後に気配が生まれた。
「先輩!?」
桜は背中に寒気を感じながら、振り返る。
「……それでこそ存在価値があるというものだ……」
そこには、浮遊する静寂の夜(サイレントナイト)の上に、腕を組んで立っているガイの姿があった。
「……そんなどうやって……?」
信じられない、自分の技には死角がない、絶対に逃れることのできない完璧な技だったはずなのに……。
「……欲張りな女だな……二度同じことを言わせるつもりか?」
ガイはやれやれといった感じで肩をすくめさせた。
「えっ……?」
「一桁遅いんだよ、お前は」
「くうっ!?」
あまりにも単純な答え。
桜はその一言で全てを理解し、悔しげに押し黙った。
何のことはない。
ガイは、全方位から迫る桜の刃が届く前に、桜の倍以上……彼女の目で見ることすらできない超高速で逃れただけだ。
「お前は……距離を零にするまでが遅いんだよ……」
全方位から来るといっても、世界を、空間を完全に埋め尽くしているわけではない。
擦り抜ける隙間ぐらいならいくらでもあるのだ。
「さて……俺も何か技を見せてトドメを刺すべきなのだろうが……それはお前に技を一つくれてやるということになるしな……どうするか……?」
「うっ……気づいていたんですか……?」
「ああ、お前がもっとも優れているのは、天才的感覚のセンスでも、肉体の器用さでもない。今の二つは『再現性』には不可欠な要素だが……他人の技を一度見ただけで完璧に複写するためには……一目で相手の技の全てを見極める『観察力』が必要だ……つまり、お前のもっとも優れている部分はその『瞳』だ……」
「くっ……!」
桜は背中の長刀に手をかける。
「遅いっ!」
「がぐうっ!?」
抜刀するよりも速く、三つの衝撃が桜を襲った。
左側頭部、左脇腹、左足が『砕けた』ことを実感しながら、桜は地上へと落ちていく。
いつの間にか、桜はワルプルギスから落馬……叩き落とされていた。
「三重終(テルツェットフィーネ)……遠慮なくパクってくれていい……ただの『蹴り』だからな……」
ガイは、一瞬で、限りなく同時に、左足一本で桜の左側頭部と左脇腹と左足を蹴り砕いたのである。
「もっとも、技は完璧に再現できても、速さと威力は再現できないだろうからあんまり役には立たないだろうがな……」
ガイが酷薄な微笑を浮かべた瞬間、桜が隕石のように大地に激突した。



『ぷっ……きゃははははっ!』
突然、空に笑い声が響く。
「誰だ……?」
「ただの蹴りでやられちゃうなんて……どこまで滑稽なの……ああ、おっかしい……おかっしすぎて涙が出ちゃうわ、あははははははははっ!」
いつの間にか、ワルプルギスの背中に一人の女が座っていた。
銀糸の刺繍(模様)のされた黒いショートコートとフレアスカート。
スカートから覗く足には黒い網タイツ、履いているのは黒いハイヒールだった。
さらに、黒い手袋を填めていて、首から下の露出は殆ど存在しない。
「……また変なのが出やがった……」
ガイが変に感じたのは、女の首から上のファッションだった。
女の首には、黒いリボンの結ばれた服の襟だけのようなものが填められている。
極めつけは、彼女の頭の上から生えている黒く細長い耳……『兎の耳』だ。
「うさ耳……化け猫の次は化け兎か……」
ガイは、女の淡く儚げな金色の長髪に隠れている本来の耳があるはずの箇所に視線を向ける。
そこにも耳が……人型の耳があるのか、ないのか、つい気になってしまったのだ。
残念ながら、完璧に髪で隠されていて耳の存在の真偽は解らない。
「うふふふ、お馬鹿さん、本物の兎なわけないでしょう? この耳は作り物よ」
しかし、薄笑う女のうさ耳は、本物の兎の耳のようにピクピクと自然に動いていた。
「……で、お前は何者なんだ、化け兎?」
ガイは嫌みなのか、女の訂正を無視して、再び化け兎呼ばわりした。
「うふっ、うふふふっ……嫌な男ぉ……この場で殺しちゃおうかしら?」
女は口元に手を当ててあくまで上品に……嫌らしく薄ら笑う。
とても上品でありながら、どこまでも嫌らしい……女の笑いは、雰囲気は高い品格を持ちながら、なぜか他者に不快感を感じさせずにはいられないものがあった。
「さっさと名乗れ……知っていそうだが、手間を省くため名乗ってやる、俺の名はガイ・リフレインだ……」
ガイの言う『手間』というのは、『他人に名前を聞く時は先に自分が名乗るのが礼儀』とか女が言い返してくることである。
この女と多く口をきくのは手間であり、苦痛なのだ。
だから、少しでも早く、少ない会話で終わらせたい。
まだ出会ったばかりで、何者なのかすら解っていないにも関わらず、ガイはこの女に強い嫌悪を抱いていた。
「うふふふふっ、いいわ、名乗ってあげる。私の名前はセレナ・セレナーデ……あなたが虐めてくれた桜の『お友達』で、この子(ワルプルギス)の前の飼い主よ」
「……友達だと……?」
この女……セレナはさっき、桜を思いっきり嘲笑っていなかったか?
「あぁ、情けない〜、せっかくこの子をあげたのに、こんなにあっさりと負けちゃうんだもの……なんて間抜けなのかしら……でも、お陰で見てて大笑いできたわ、うふふふふっ!」
気のせいではない、セレナは今も明らかに桜を嘲笑っていた。
「お前……嫌な女だな……」
ガイは強い嫌悪を込めた眼差しをセレナに向ける。
ここまで、嫌悪を、不快感を感じる女に会ったのは初めてだった。
「あらぁ……気が合うこと……じゃあ、どうしましょうか?」
「決まっている……」
ガイの姿が突然消え去る。
「俺の前から永遠に消えろ!」
セレナの眼前に出現すると同時に、ガイは剣を振り下ろした。



「うふふふ……」
セレナはコートの中に右手を入れたかと思うと、柔らかな銀の光沢を持つ刃に、黒い柄のナイフを取り出す。
ナイフの放つ銀光が刃のように伸び、ショートソード並の剣刃になると、ガイの振り下ろした剣をあっさりと受け止めた。
「なっ!?」
「ふぅん〜、ワルプルギスと同じように空を駆けられるのね。しかも、速い速い〜」
ワルプルギスが疾風の速さで、ガイから数メートル程遠ざかる。
セレナはまたがっているわけではなく、椅子に座るように馬の背に腰を下ろしているだけで、手綱も掴んでいなかったのに、ワルプルギスから振り落とされることはなかった。
「神剣を受け止めるだと……闘気の……いや、魔力の剣か?」
「うふふふふっ、正解よ。ナイフの刃自体はただの銀……本当は神銀鋼なんかで作った方がもっと魔力を増幅してくれるのだろうど……かよわい女の子の私には、神銀鋼なんて重くて持てないもの、あはははははははっ!」
笑うセレナに呼応するように、銀光の刃の輝き(魔力純度)と激しさ(魔力出力)が増す。
「神銀鋼に魔力を込める? 神銀鋼は魔の力とは対極の材質のはずだ……」
「うふふふっ、私の魔力だけは特別なのよ……だって、私……女神様ですもの、この世でもっと神々しく清らかな存在なのよ、きゃはははははははははははっ!」
「女神だと……お前みたいに邪悪な女神が居るかよ……!」
ガイは一瞬で間合いを詰めると、セレナの胴体を両断しようと剣を斬りつけた。
だが、その一撃は銀光の刃に容易く受け止められてしまう。
「うふふふふ、アセイミーナイフという物を知っているかしら? 魔女術の各種儀式で用いる銀製のナイフ……長い年月をかけて月の光(魔力)を仕込んだりするのだけど……」
銀光の輝きと激しさが爆発的に高まり、剣ごとガイを弾き飛ばした。
「月の女神……月その物とも言える私にはその手間は不要なのよ!」
セレナがナイフを一閃すると、莫大な銀光がガイに向かって解き放たれる。
差詰め、ネツァクの『紫煌の終焉』の銀色版とでもいった感じの巨大で高出力の破壊光だった。
「無敵盾(イージスシールド)!」
銀光は、ガイが盾にするように突きだした剣の直前で見えない壁に遮られるようにして止まっている。
正確には、止まっているのではなく、見えない壁を破壊、あるいは貫通しようと、凄まじい力で押し続けていた。
「うふふふっ、もう一つ如何かしら〜」
「なっ……」
セレナが再度ナイフを一閃すると、二発目の銀光が一発目の銀光に追い打ちする。
「駄目押しぃ〜!」
「馬鹿なっ!?」
三発目の銀光の負荷が加わった瞬間、見えない障壁は決壊した。
三発分の質量の銀光はガイを呑み込み、そのまま地上を貫くようにして大爆発を起こす。
「あははははははははははははははっ! みんな吹っ飛んじゃった!? みんなみんなっ! あははははははははっ!」
銀光の爆発は、タナトス達も、ディーンと庵も、何もかも呑み尽くして、森全体に拡がっていった。
「うふふふ、念のためもう二、三発撃ってこんな森……あ……あらぁ……?」
セレナの腹部から、幅広な青銀色の剣が突きだしている。
「ちっ……」
「我、望むは完全無音、絶対静寂……汝、虚無へと帰せ……虚空鈴慕(こくうれいぼう)!」
弾けるような音と共に、セレナの姿はこの世から跡形もなく消滅した。



「振動によって原子レベルで崩壊させる技か……小技だけは増えていやがるな……」
森から銀光が消え去ると、何一つ変わっていない森が姿を現した。
銀光の爆発は森の大半を呑み込んだはずなのに、森は木一本たりとも被害を受けていない。
「……何がどうなっている……?」
タナトスには何が起きたのかさっぱり解らなかった。
確か、地上に叩きつけられた銀光が爆発し、その光の中に自分も呑み込まれたはずだったのだが……。
「……いったい……何なの……あの人……?」
「クロス?」
クロスは、化け物でも見るような眼差しをディーンに向けていた。
「魔術?……魔法?……どうすればあんな破壊光を指を鳴らすだけで無効にできるのよ!?」
「なっ……」
クロスの発言に、タナトスも絶句する。
ディーンがあの爆発をたった一人で防いだ、それも指を鳴らしただけでなど……とても信じられなかった。
「……痛たあ……流石、師匠凄いバリアですね……」
桜が左手で左側頭部を、右手で左脇腹をおさえながら、右足一本で立っていた。
「……バリア?」
「ええ、見えませんでしたか? 自身だけでなく、庵もわたし達も纏めて広範囲を余裕で包み込んだ巨大で透明なバリア……」
桜は片足でぴょんぴょんと跳んで、クロスとタナトスの方に近寄ってくる。
「……エナジーバリアってやつ?」
クロスの脳裏に浮かんだのは、何度か見たことがある魔王クラスの高位魔族の使う半透明な膜のようなバリアだった。
「……いえ、どっちかと言うと師匠の場合は……」
「桜、負け犬がベラベラと喋るな」
「あ……はい、申し訳有りませんでした、師匠」
桜は、ディーンの声に畏まって頭を下げる。
「ふん、治してやるからさっさとこっちに来い」
「はい、師匠〜♪」
「あ、ちょっと……」
クロスの静止など聞こえていないのか、桜は嬉しそうに片足でディーンの方に跳ねていった。
「しかし、治せるわけね……ああ、もういいわ、別に……」
「気にするだけ無駄だ……あいつは何でもありのデタラメ野郎だ……」
いつの間にか、地上に降りてきていたガイが独り言のように呟く。
「……そ、そうみたいね……」
「ふん……」
ガイは無造作に剣を宙に放り投げた。
剣は、青銀色の髪の幼女アルテミスへと転じ、大地に軽やかに着地する。
「ううぅ〜、ガイ〜、何でわざわざわたしの上に乗るの〜?」
アルテミスは、恨めしそうな、拗ねたような声でガイに話しかけた。
どうやら、神剣形態だった時に『乗り物』にされたことが不満らしい。
「悪かった……自分で浮くより楽なんでついな……それに、気分的にやっぱり足場があった方が蹴りには力が込めやすいからな……」
「うぅぅぅ〜」
アルテミスは唸り声で不満を露わにした。
「拗ねるな……明日、和菓子でも買ってやるから……」
「本当!?」
「ああ、本当だ……だから、新しいコートを出してくれ……」
「全メニュー制覇やってもいい……?」
おねだりするように上目遣いで尋ねる。
「……ああ……好きにしろ……」
「やったあっ! あ、コートだったね、すぐ出すから待ってね〜♪」
「……あまあまね……」
クロスは、二人のやりとりを、呆れ果てたような、それでいて羨ましそうな表情で、眺めていた。



「うふふふ……来ちゃった」
「呼んでないわよ……」
ほろ酔い機嫌で温泉に浸かっていたリューディア・プレリュードは、突然の来訪者の顔を見るなり酔いも冷め、不機嫌になった。
「あらぁ、冷たい……姉妹が久しぶりに会ったというのに……うふふふふっ」
来訪者、宙に浮かびながらリューディアに話しかけているのは、ここではない場所で少し前にガイに滅せられたはずのセレナ・セレナーデある。
「あたくしは、あなたのような雑魚を姉と認めた覚えはないわ、セレナ」
リューディアは、肉親に向けるものとは到底思えない冷た過ぎる眼差しをセレナに向けていた。
「あらあら、姉を呼び捨てにするなんて悪い子ぉ……殺しちゃおうかしら?」
セレナは愉快そうに笑いながら、至極物騒なことを口にする。
「やれるものならやってみなさいよ。あたくしとあなたじゃ神属としての格が違うということを教えてあげるわ〜」
リューディアは右手にステッキを出現させると、前方の空中に浮遊しているセレナに突きつけた。
「うふふふふ、本当にお馬鹿さんで可愛い子……格が違うのはあくまでお母様同士の話……それをそのまま、私とあなたに当て嵌めようだなんて……なぁんてお間抜けさんなのかしらぁ〜」
セレナは哀れむような、嘲笑うような眼差しをリューディアに向ける。
「それってどういう意味……?」
リューディアは激しい敵意を込めてセレナを睨みつけた。
「うふふふふ……」
セレナは答えずに、湯に浮かぶお盆に乗ってた銚子を右手の指で摘み上げる。
「ちょっと、あたくしのお酒に何するのよ!?」
リューディアのステッキが、セレナを突き刺そうと伸びるが、セレナは左手の指であっさりとステッキの先端を摘んで受け止めてしまった。
そして、銚子の酒を一気にクイッと飲み干してしまう。
「あああっ!? あたくしのお酒っ!」
「ふぅ〜ん、三級酒ね……ほらぁ、返すわよ〜!」
「痛っ!」
セレナの放った銚子が、リューディアの額に直撃した。
「あははははははははははははっ! そんなのも避けられないの!? なんて間抜けなの、リューディア……あははははははははっ!」
狂ったような高笑いをあげて、リューディアを嘲笑う。
「こ、この……シン!」
リューディアが名前を呼んだ瞬間、セレナの背後にシン・シンフォニーが出現し、迷わず青紫の大剣を振り下ろした。
「あら、居たのぉ、シスコン?」
「がっ……!?」
うさ耳が鋭利な刃物のように、シンの両手首を切り裂く。
セレナは、シンの両手からこぼれ落ちた青紫の大剣を、左手で掴むと、剣先を彼の首筋に突きつけた。
「うふふふっ、宝の持ち腐れぇ〜」
「…………」
「たまには自分が異次元に飛ばされてみるぅ〜?」
挑発するかのように、剣の背でシンの首筋をペチペチと叩く。
「なぁんてね〜、こんなちんけな剣いっらないぃ〜」
セレナは、青紫の大剣を温泉の中へと投げ捨てた。
「ち、ちょ……なんてことを……」
リューディアは、青紫の大剣の落ちたはずの場所までお湯をかき分けながら急ぐ。
「うぅ〜ん、やっぱり、あなた達『で』遊んでも大して楽しくないわねぇ〜」
「何!?」
「飽きちゃったぁ……私もう帰るわね、ばいばぁい〜」
セレナは空中で一度大きく跳躍したかと思うと、姿を消失させた。
おそらく、ガイの時も、今のように、消される前に自分で消えて逃れたのだろう。
「……ああ、せっかくの極楽気分が台無しよ……飲みなおし、漬かりなおししなくちゃね〜。シン、代わりのお銚子持ってきて〜!」
「…………」
シンは、姉の命令に無言で頷くと姿を掻き消した。








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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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